「祖師谷の家」オープンハウスのお知らせ

7月 19th, 2012 by a-sa

7月21日(土曜日)12時〜18時
世田谷区祖師谷にて完成見学会を開催致します。
周囲を住宅に囲まれた中庭住宅です。

詳細につきましては,下記メールアドレスまでお問い合わせ下さい。
ご連絡をいただいた方に詳しい案内をお送り致します。

go@architect-sato.com

ブログ再開

7月 19th, 2012 by a-sa

皆様、ご無沙汰しております。
震災の後、1年以上ブログを更新していませんでした。
何となく文章を書く事に前向きになれなかったのですが、またブログを再開したいと思います。

少しずつ更新して行きたいと思いますので、宜しくお願い致します。

連休

5月 17th, 2011 by a-sa

思い返せばここ数年、連休らしい連休を過ごした事がない。
今年も締め切りに追われているため休めないと思っていました。
でも今年は意を決して3日だけ時間を取り、福島へ。

復旧した東北新幹線に乗って景色を眺めていると、途中栃木に入ったあたりから
落ちた瓦屋根をブルーシートで応急処置した住宅が目立ちました。

曲がったままのソーラーパネル
外壁が崩れ落ちた古いボウリング場
まだ色濃い爪痕。

福島県郡山市は東日本大震災により大きな被害を受けた街のひとつです。
2ヶ月経った今も、市街地にある総合病院は新築棟と既存等を結ぶ渡り廊下が
崩れたままで、無事な部分を使って診療を行っていました。

僕が10代のうちの3年間を過ごした高校も郡山市にあります。

今では共学になっていますが、在学中はバンカラの男子校でした。

正門を入ってすぐの場所にはかつての木造校舎が残されており、
明治期の雰囲気を今に伝えるその建物は国の重要文化財に指定されています。
歴史博物館として一般公開されていますが、学年集会等で使う事もありました。

この建物が地震被害を受け、修復に数億かかるという記事を目にしたため
今回の帰省の合間、久々に母校を訪ねて来ました。


道路から見る分には大きく崩れているわけでもなく、無事だという印象。
しかし、近づいてみるとその被害の大きさを感じました。

ガラスが所々割れていますが、中の漆喰壁も全体に渡って崩落しているそうです。
閉鎖されているため中に入る事はできませんでした。

柱に竪樋を固定していた釘が抜け、角の基礎石が割れています。
別の角では柱が割れている部分もありました。

さらによく見ると石の上面に色の違う部分があります。
基礎の石と上の木造部分が写真奥まで大きくずれ
元々建物が乗っていた部分が露になっているためです。

建物の四隅には特に大きな力がかかり、変形を引き起す事を物語っています。
補修工事は、かなり大掛かりなものになりそうだという印象を受けました。

4月 13th, 2011 by a-sa

大きな余震も頻発し、原発もまだまだ落ち着きません。
福島の家族、親戚、友人と連絡を取り合い、無事を確認しながらの日々。

そんな中、落ちた気持ちを持ち上げてくれるニュースが舞い込んできました。
私も設計チームに参加させて頂いた香山先生の「世界遺産 熊野本宮館 」が、
2011年日本建築学会作品選奨に選ばれました。

■日本建築学会 2011年各賞受賞者
http://www.aij.or.jp/jpn/design/2011/prize2011.htm#P7

学会賞など、数多くの受賞歴を持つ香山先生ですが
作品選奨には東京大学弥生講堂(2002年)でも選ばれています

大学院の同期であり、このプロジェクトの担当でもある香山壽夫建築研究所の
土屋君からの連絡でこの事を知りました。

このような密度の濃いプロジェクトに関われたという喜びと同時に
建築界を引張り続ける香山先生に負けていられないという気持ちも。
僕もこのプロジェクトで得た経験を糧に、また一歩、前に進もうと思います。

仮住まいfor被災者

3月 29th, 2011 by a-sa

昨日、以前お世話になっていたNIIZEKI STUDIOより、
「仮住まいfor被災者」というサイトについての連絡がありました。
http://karizumai.town360.jp/pages/info

法人、個人問わず仮住まいを提供したいと考えるオーナーの方々と、
仮住まいを必要としている方々をつなごうという動きの一つです。
この活動は全てボランティアであり、登録物件も無償提供のみに限るそうです。

発起人は新関さんの知人、設計事務所バリカンの中川さんという方です。
より多くの方々に知ってもらいたいと思い、ここに掲載させていただきました。
もしお知り合いで協力頂けそうな方がいらっしゃいましたらお伝え下さい。
よろしくお願い致します。

物資不足

3月 25th, 2011 by a-sa

私たちの事務所ホームページのトップ写真は「いわきの家」です。
この住宅以外にも、原発避難範囲内の町に設計した建物があります。

地震後、心配で建て主に連絡したところ、けが人もなく建物共に無事でした。
被災者である建て主が、電話口で「頑丈だと感心した」と言っている、
その声の明るさが何より嬉しい事でした。
しかし、避難範囲内には「いつ戻れるのか分からない」とも呟いていました。

今、いわきや福島のいたる所で風評被害が出ています。
そのような中・・・
芸人の江頭2:50は自らトラックを運転し、いわきに物資を届けてくれたそうです。
カメラを伴うわけでもなく。

原発が依然危険な状態である事は承知しています。
国が安全だというその言葉に、私も不安を感じています。
でも、物資運搬される方へお願いです。

不安と戦いながら一生懸命踏ん張っている人たちを、今から見捨てないで下さい。
もしも状況が悪化し、自分の身に危険が近づいたら迷わず逃げて下さい。
今はまだその時ではないと信じています。

2011年3月14日(月)

3月 14th, 2011 by a-sa

今日は確認申請業務で渋谷に行きました。
写真は午後2時頃の渋谷駅前。

月曜の昼にしては人もまばら。
電光掲示板や照明は消えています。

普段はとても賑やかなビックカメラも同様、静けささえ感じました。
ただ歩いているだけなのに悲しい気持ちに包まれます。

計画停電の影響で、井の頭線も本数を減らして運行していました。

私共の実家、及び福島工房のある地元は幸いにしてライフラインも生きており、
現在、原発から半径20キロ圏内の避難民を受け入れています。

昨日街中で、小さな子が「放射能ってなに?」と屈託なく聞いていました。
原発が依然予断を許さない状況ですが、事態の好転を祈ります。

あたたかい冬の一幕

1月 11th, 2011 by a-sa

とある山中の闇の中
しばらく車を走らせると突然浮かび上がる光の風景。
テーマパークと見紛いますが、これはある一軒家での冬のワンシーンです。

小高い位置に家があり、庭・斜面も含めて装飾されているため
外灯の少なさも相まって、遠くから見ても綺麗です。

このイルミネーションは、個人宅で行われているクリスマスイベントなのですが
1月始めまで展示しているため、お正月でも見ることができます。

屋外の庭だけでなく、家の座敷も展示スペースになっており
東京スカイツリーの横を電飾の汽車が汽笛を鳴らして走るなど
遊園地のような楽しい演出もあります。

・・・何かが多い気がしますがそこは愛嬌。

まわりに何もない山中の民家で
なぜこのようなイルミネーションが?

きっかけは十数年前、ここに暮らしていた高齢のお母様へのプレゼントとして
ご子息が小さなクリスマスツリーを作ったのが始まりだったそうです。

やってみるとお母様は大変喜んでくれたため、もっと喜ばせたい、喜ばせたいと
その飾り付けは毎年大きく華やかになって行ったとの事。

今ではこの家だけでなく
他の家も同じ時期に飾り付けを行い
町を挙げての冬の一大イベントにまでなっています。
(写真にはない付近の商店街も飾り付けされています)

多いときは一日で数千人集まるそうで
この日も、用意された駐車場に車を駐めるまで大分待ちました。

お母様が亡くなられた今も
噂を聞きこれを見に集まる沢山の人々のために
入場料を取るわけでもなく、ただただ喜んで帰ってくれる人のために
御夫婦で毎年準備してくれています。

人を喜ばせたいという、あたたかいおもてなしの心は
敷地内をはしゃいで走っている子供たちにも伝わっているように思えました。

この木なんの木

12月 15th, 2010 by a-sa

立川にある昭和記念公園。

銀杏並木が有名なので、行った事のある方も多いだろうと思います。
金色の絨毯やそこに映り込む影は本当に綺麗で、秋の彩りを感じさせてくれます。

公園の中央にあるのは「みんなの原っぱ」と呼ばれる広場。
フリスビーを楽しむ親子や、寝そべって空を眺めているカップル等、
いろんな人々が寛いでいます。

使い方を限定されない、ゆったりとした時間が流れるこのような場所は好きです。
作り込まれすぎて恣意的なものは、窮屈さを感じる事がありますが、
「あなたはどうしたい?」と、程良くこちらに過ごし方を委ねられるような場所は
気持ちが良いですね。贅沢な場所です。

みんなの原っぱの真ん中にシンボリックに存在する樹木があります。

思わず
「この〜木なんの木〜」
という唄が頭の中で流れて来そうなその存在感。

視界を遮る物がないためかなり遠くから見えますが、
歩いてみるとなかなか辿り着かない。
育ちたいように育ちました!と言っているような、
樹形も伸び伸びとしていてとても大きなケヤキです。

不思議なもので、丸い広場の真ん中にこの樹を見つけると、
吸い寄せられるようにその中心を目指して歩いていました。

子供の頃は、田舎で山や川、田んぼの中で自分たちで遊びを見つけていました。
岩山に屋根をかけて秘密基地を作ったり、畦道をバランスを取りながら渡ったり。
(時には田んぼに落ちて泥だらけになる事も。。。)
自然の中にヒントを見つけて、自分たちから楽しんでいました。

家でも、公園でも、街中でも、「ちょっとくすぐる」ようなしかけがあると
新しい行動・活動が誘い出され、にぎわいを生み、
そこはより魅力的で豊かな居場所になるのかもしれません。

ヒントを与えつつ、でも押し付けにならない。。。
この加減が難しいところですね。

御会式

10月 29th, 2010 by a-sa

10月17日、私共で設計させていただいた雑司が谷のお家にお邪魔しました。
この日は伝統行事の鬼子母神御会式が行われる三日間の中日。

参道には出店が建ち並び、普段の物静かなケヤキ並木の印象とは
ガラッと違う表情を見せてくれます。

太鼓の音色にのって万灯とまといが人混みをかき分け、
その身を揺らしながら闊歩する様は迫力があります。

三鷹阿波踊りでは各団体を「連」と呼びましたが、
雑司が谷御会式は「講」で、それぞれに万灯とまといを持って行列します。

鬼子母神に到着した万灯。
写真の万灯がぶれているのは、持つ人が絶えず揺らし続けているからです。
人で埋め尽くされた中を激しく、躍動感たっぷりに動き続けます。

万灯はかなりの高さがあり、前を行く人が棒を持って、
邪魔にならないよう、参道の電線を押し上げながら進むほど。

各講毎に一本の万灯を交代で受け渡しながら、一人ずつ持ちます。
結構重いようで、バトンタッチの際に倒しそうになる一幕も。

上手い方は手の腹に載せて片手で持ち上げ、バランスを取ります。
技を見せ合い盛り上がる、これぞ祭りという感じで良いですね。

雑司が谷のお家もこの日は御会式仕様。
玄関物置の木格子戸に提灯をぶら下げ、お洒落でとても良い雰囲気でした。
(歩みを止める方や、写真を撮られる方も)
すっかりご自分たちのお家として住みこなしているなあ、と感じたワンショット。

上からの眺めは、この通り沿いに暮らす人たちの特権ですね。
お祭りから帰ってこられた施主御夫婦と一緒に畳間に座って、
通りの賑わいとの近さを楽しみながらお酒とおつまみをいただきました。

地窓越しに

「みんな向こうで飲みますよ」

「うちもあとで合流します」

なんてやり取りも。
隣に住んでいる人が誰だか分からない事も多い東京にあって、ここは
通りの入口まで来ると「ただいま」という感覚になれる場所かもしれません。

御会式を眼下にいただくお酒は、より一層美味しく感じました。
ご実家お手製の漬け物も、塩加減が絶妙で本当に美味しかったです。
素敵なひとときをありがとうございました。